京都地方裁判所 昭和59年(行ウ)25号 判決 1988年3月29日
原告
渡辺光友
右訴訟代理人弁護士
山口貞夫
同
湖海信成
右訴訟復代理人弁護士
佐渡春樹
被告
京都下労働基準監督署長
林新次
右指定代理人
高須要子
同
蔵本正年
同
村田巧一
同
戸根義道
同
渡辺嘉十郎
同
木下徳治郎
同
八木勝太郎
同
岡田誠一郎
同
増田隆男
同
杉本正
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 申立
一 原告
1 被告が原告に対して昭和五三年二月二八日付でした労働者災害補償保険法(以下、労災保険法という)による療養補償給付及び休業補償給付を支給しない処分並びに同年四月一日付でした同法による休業補償給付を支給しない処分(以下、これらを本件不支給処分という。)をいずれも取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
主文と同旨。
第二 主張
一 請求の原因
1 原告は、自動車旅客運送業を営む都タクシー株式会社に雇用されてタクシー運転の業務に従事していた者であるが、昭和三七年九月一二日、右の業務中に京都市上京区河原町通丸太町上ル路上において貨物自動車に追突された(以下、本件事故という)。
2 原告は、本件事故により負傷し(以下、この負傷に起因する症状を本件疾病という)、以来その治療のため、京都大学医学部付属病院(以下、京大病院という)等に入院、通院し、療養及び休業を余儀なくされ、本件事故の日から療養補償給付及び休業補償給付を受けていた。
3 しかるに、被告は、原告が昭和五二年一〇月七日から昭和五三年一月三一日分までの療養補償給付並びに昭和五二年一一月一一日から昭和五三年二月二八日分までの休業補償給付を請求したのに対し、昭和五二年一一月一八日分までのこれらの補償給付を支給したものの、本件疾病が同日限り治癒したとして、昭和五二年一一月一九日分からの右補償給付(以下、これを本件補償給付という。)について、療養補償給付については昭和五三年二月二八日付にて、休業補償給付については同年四月一日付にて、本件不支給処分をした。
原告は、本件不支給処分につき、京都労働者災害補償保険審査官に審査請求したが昭和五七年一月一八日付にて棄却の決定を受け、更に、同決定を不服として労働保険審査会に再審査請求したが昭和五九年九月一四日付にて棄却の裁決を受けた。
4 しかし、本件疾病は、本件不支給処分当時未だ治癒していなかつた。
すなわち、原告は、昭和五二年当時には、頭痛、上肢知覚異常等の症状に加え、肩や首の周辺がこり、上下肢、首、肩等に痛みがあるために同じ姿勢を続けることができず、微熱が続き寝汗が激しく、睡眠時間が二時間程しか採れず、寒い時や雨の時には全く眠れないこともあり、昭和五三、四年頃には痛みが強く、右手が不自由で手拭を絞るのも困難であつたから、昭和五二年一一月一九日以降も京大病院で治療を受けており、かつ、その後の継続的な治療により、昭和五六年頃から次第に症状が軽快し、昭和五七年頃には、痛みの回数、程度が軽減し、しびれ感も次第に消失して、散歩等の運動も無理なくできるようになり、睡眠時間も約四、五時間は採れるようになり、昭和五二年当時と比較すると眼に見えて症状が改善された。
5 よつて、本件不支給処分は違法であるから、その取消を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1の事実は認める。本件事故は、原告が交差点を青信号により前車に追随して発車した直後、前方の車が右折車に進路を妨げられて急停車したため急停車した際、後続の貨物自動車に追突され、前車に追突したものである。
2 請求の原因2の事実は認める。但し、昭和五二年一一月一八日以降も療養及び休業を余儀なくされたことは争う。
3 請求の原因3の事実は認める。
4 請求の原因4の事実は争う。
三 被告の主張
本件疾病は、昭和五二年一一月一八日限り症状が固定したから、治癒したものと認定される。
1 療養補償給付は必要と認められる療養に対し支給されるものであり、休業補償給付は療養のため労働できないために賃金を受けない日につき支給されるものであり、いずれも治癒の時まで続けられるが、治癒とは、疾病の急性症状が消退して症状が安定し、慢性症状は持続しているにしても、医学上一般に承認された療養方法をもつてしては一時的な症状の回復が見られるに過ぎず、それ以上の根治的な医療効果が期待し難く、症状が固定した状態をいい、いわゆる全治とは異なる概念である。
2 原告(昭和四年一月四日生)は、昭和三七年九月一二日の本件事故後直ちに革島外科病院にて診察を受け、頸部挫傷により七日間就労不能と診断されて通院し、その後京大病院に通院し、同月二九日に同病院に入院した。その後、後頭部痛及び頸椎運動制限が軽減して全身状態も良好正常となつたので、同年一〇月一三日に退院し、引続き京大病院に通院し、翌昭三八年八月八日には自由出勤可能と診断されて同年一一月一日から昭和三九年一月二八日まで勤務し、その間は休業補償保険不支給となつた。しかし、再び症状が悪化して休業し、同病院にて、頭重、頸部痛等を治療として局所注射、メイロン、ビタミン剤その他の注射、自律神経調整剤、精神安定剤、ビタミン剤等の投与等の治療を受け、同年七月二八日頃には大分良くなつた旨診断された。同年九月三〇日には同病院の小野村医師から「症状略固定し後遺症を残して治癒したものと認める。現在のところ重労働に従事することは不適当と考えられる」との診断を受け、同年一〇月一日には同病院の松村医師から「理学療法を施行してきたが完治せず、職業転換を要する」との診断を受け、引続き同病院に通院した。昭和四〇年、四一年頃には自律神経失調を思わせるめまい、悪心、おう吐、四肢の腫脹等が加わつて症状が持続しているとされ、心因性反応も加わつたため鎮静剤、精神安定剤、自律神経調節剤等の投与を受け、昭和四一年五月には頸椎X線検査により頸椎運動の後屈が特に強く障害され、直立位で各方向に一〇度前後と強く制限され、胸椎の運動を伴つてもなお前屈三〇度、後屈二〇度、倒屈三〇度程度のみ可能であると診断され、マッサージ、超短波等の治療を受けたけれども、その治療効果は一過性であつた。昭和四三年からコルセットを装着して後頭部痛が軽減したものの、再度の頸椎X線検査を受けて右前回と変化がないと診断され、筋電図上は右拇指球筋群、左右小指球筋群等に神経損傷を示すと診断され、更に眼球調筋力障害、頸椎運動制限、弱視、早朝四肢の脱力等が続き性能力減退も高度であるとされ、牽引、超短波、マッサージ等の理学療法を中心とする治療を受けた。同年夏から心因性反応の傾向が徐々に消失し、同年後半からは投薬、注射等も減じられ、その後も右症状は持続したが心因性反応についてはほぼ完全に消失し、昭和四五年六月頃には軽作業程度は可能な状態となつた。昭和四七年八月までは頭痛、頸部痛、頸椎運動痛その他の頸神経根症状、めまい等の自律神経症状等に対しマッサージ、超音波療法、精神安定剤、自律神経調整剤、めまい治療剤、向神経性ビタミン剤の投与を受け、昭和四八年一一月以降は自覚症状は種々あつたものの専ら定期的な投薬(解熱鎮痛剤バファリン、平衡障害治療剤メリスロン、複合ビタミン剤ビタメジン、精神神経用剤コントロールのみ)と理学療法を受けた。昭和四九年以降においては症状に顕著な変化がなく、昭和五一年以降は臨床検査も受けておらず、専ら右定期的な投薬と理学療法が継続され、自覚症状については医療効果が認められず一進一退しており、根治の見込がない。
3 原告は、本件不支給決定の後も京大病院に通院し、両上下肢痛、しびれ感、右肩関節痛、頸性頭痛及び腰痛等を訴えているが、これらの症状は冬期及び梅雨期に増悪し、夏及び秋に軽快するというパターンの繰返しで変化がなく、治療内容も殆ど変化がない。昭和五六年一二月二六日に手掌の痒みに対するリンデロンVG軟膏の塗布を、昭和五七年四月二日に星状神経節ブロック、大後頭神経ブロックを受けたが、いずれも一時的な措置である。また、その間に血液一般検査を五回、生化学検査を四回受けているが、その結果はいずれも異常がなく、昭和五七年八月一三日頃の眼科の検査では、矯正視力は左右とも1.5と良好で、軽度の視野狭窄があるものの羞明のため充分な検査ができなかつたとされている。
4 更に、医学的所見として、
京大病院の半田譲二医師は、昭和四九年七月二二日付にて、外傷性頸部症候群の診断の下に長期間休業通院加療中であつた原告の諸症状は徐々に軽減し、なお頭痛、頸部痛、上肢筋力低下等の主訴があるが、脳神経外科、整形外科、眼科及び耳鼻科の分野から見て就労可能である旨診断している。
大阪大学医学部脳神経外科の最上平太郎医師は、昭和五〇年八月二八日付にて、外傷後六年を経た昭和四三年以後では、症状固定の状態に入つているのではないかと推定される旨診断している。
日本医科大学第一病院の石田肇医師は、昭和五三年一月三〇日付にて、原告の症状は昭和五二年一〇月一八日の時点においても医学常識からみて症状固定の状態であると考えられ、臨床症状については殆ど変化しないものと推定される旨診断している。
京大病院の半田譲二医師は、昭和五六年四月九日付にて、原告の昭和五二年当時の症状は、頭痛、上肢知覚異常、めまい感、集中力欠如等主として自覚的なもので、これらに対して投薬及び理学療法等の保存的な療法は症状改善に有効であつたが、根治的効果は期待し難かつた旨診断している。
京大病院の山下純宏医師は、昭和五七年一二月二七日付にて、昭和五二年一一月一八日以降の約五年間、原告の身体状況に基本的な変化はない旨診断している。
5 その他の事情として、
統計によれば、いわゆる鞭打ち症は、患者の69.4パーセントが三か月以内に、約七三パーセントが五か月以内に、九六パーセントが一年以内に全治ないし症状固定しており、治療に一年を超えるものは頸椎骨折脱臼等を伴つた極少数に過ぎない。
原告は、昭和四八年一二月三日から都タクシー株式会社の従業員らによつて構成される都タクシー労働組合の執行委員長に就任し、昭和五二年三月までの賃金交渉その他種々の団体交渉に参加している。
原告は、昭和四二年から現在まで、京都むちうち症対策協議会の会長、事務局長等になり、むちうち症患者の相談等に当つている。
6 以上によれば、原告の本件疾病は、遅くとも昭和五二年一一月一八日限り治癒している。
四 原告の反論
1 治癒とは症状が改善する可能性のないことではあるが、根治の可能性がないから治癒したとは言えず、その認定は、通院加療によつて諸症状が軽減中であるか否かを重要な要件とする。就労が可能であるか否かとは関係がない。
2 自覚症状は鞭打ち症に特徴的なもので、医学的に見れば自覚症状も明らかに異常な臨床所見である。
3 被告は本件不支給処分にあたつて、実務上の扱いに反して原告に対し第三者機関による診断を指示せず、根拠がないまま漫然と治癒の認定をしたもので、不当極まりない。更に、被告主張の資料によるも症状固定の時期についての診断が区々であり、被告主張の時期に治癒があつたとするには科学的根拠に欠ける。
4 半田医師作成の昭和四九年七月二二日提出の意見書は、原告が職場復帰の訓練に入りたいと願つた際、職場復帰には就労が可能との診断を要するため、半田医師に相談して書いて貰つたもので、これにより治癒を認定することはできない。
5 原告は、本件事故により、数十分にわたり意識を喪失した程の重傷を負つたにもかかわらず、七日間の就労不能と診断されたのみで、鞭打ち症にとつて最も重要な安静の指示も受けず、首に麻酔注射を一週間続けて打たれ手の爪が全部死人の紫色に変色したのをはじめ、昭和三八年には牽引療法が集中的に続けられ、昭和三九年には首や骨髄にアルコール注射を打たれたために背中が火傷をしたように強烈に痛み半年間近く上向きで寝ることができず、ホルマリン注射を背中に打たれて余りの痛みに失神したこともあり、また、星状神経へのブロック注射という荒つぽい療法も継続して受けた。このように、本件疾病は未だ鞭打ち症の治療方法が確立される前のもので、治療が適切を欠き、医療機関により重傷が作られたと言つても過言でない状況であつて、鞭打ち症の治療期間の統計は本件疾病に妥当しない。
6 原告は、昭和五七年九月二四日に至つてようやく、主治医である京大病院脳神経外科の山下純宏医師から症状固定の診断を受け、その後は大きな症状の変化もなく今日に至つているものである。
第三 証拠<省略>
理由
一原告が自動車旅客運送業を営む都タクシー株式会社に雇用されてタクシー運転の業務に従事していた者で、昭和三七年九月一二日、右の業務中に本件事故による負傷により本件疾病を負い、以来その治療のため京大病院等に入院、通院し、少なくとも昭和五二年一一月一八日まで療養及び休業を余儀なくされ、本件事故の日から療養補償給付及び休業補償給付を受けていたこと、被告が請求の原因3のとおり原告の請求に対し、昭和五二年一一月一八日分までのこれらの補償給付を支給したものの、本件疾病は同日限り治癒したとして、昭和五二年一一月一九日からの本件補償給付について本件不支給処分をしたこと、原告が本件不支給処分につき審査請求し、再審査請求し、いずれも棄却の裁決を受けたことは当事者間に争いがない。
二療養補償給付は必要と認められる診察等の療養に対して給付され、休業補償給付は療養のため労働することができないために賃金を受けない日につき給付され、これらは、医学上一般的に承認された療養方法をもつてしてはより以上の根治的な医療効果が期待し難く療養の原因たる疾病の症状が固定したと認められる時(これを、治癒という)まで続けられるところ、原告は、昭和五二年一一月一九日の時点では未だ治癒していなかつたとして請求の原因4のとおり主張し、本件疾病が治癒したのは昭和五七年九月二四日であると反論する。そこでこの点を医学的症状、所見を中心として判断する。
1 成立に争いがない乙一六号証(大阪大学医学部脳神経外科最上平太郎医師作成の昭和五〇年八月二八日付鑑定書)、成立に争いがない乙四五、四六号証の各一、二、原本の存在及び成立に争いがない乙五四号証(診療録)によれば、原告は本件疾病の治療のため京大病院に通院していたが、昭和四五年から昭和四九年七月までの診療録ではほとんど特別に症状に関する記載が見られず、同様の注射、投薬が続けられたこと、そのため原告の症状は以前と同じか、あまり特記すべき所見がなかつたものと推定されること、右最上医師はこの診療録の記載によるかぎり、外傷後六年を経た昭和四三年以後では、症状固定の状態に入つているのではないかと推定されると鑑定していることが認められる。
2 前掲乙四六号証の一、二、成立に争いがない乙八号証(京大病院脳神経外科半田譲二医師作成の昭和四九年七月二二日付職場復帰訓練に関する意見書)及び証人半田譲二の証言にすれば、原告は外傷性頸部症候群の診断の下に、長期間休業し、京大病院に通院加療中であつたが、この間にその諸症状は徐々に軽減し、同意見書の時点でなお頭痛、頸部痛、上肢筋力低下等を訴えるものの、脳神経外科、整形外科、眼科及び耳鼻科の分野から見て就労可能であり、その症状は軽減、安定化したと診断されていることが認められ、成立に争いがない乙九、一〇号証をもつてしてはこの認定を左右し難い。
3 前掲乙四五、四六号証の各一、二、乙五四号証、成立に争いがない乙三号証中の日本医科大学第一病院理学診療科助教授石田肇医師作成の昭和五三年一月三〇日付意見書及び成立に争いがない乙四七ないし四九号証の各一、二(診療録)によれば、本件疾病は、発症直後の時期を除き、神経学的にも整形外科的にも客観的な所見に乏しく、原告の病訴、いわゆる不定愁訴が主であるのが特徴であり、昭和四九年以降おいては症状に著変がなく、昭和五一年一二月以降は臨床検査も行われておらず、専ら理学療法、投薬が継続されていること、右石田医師は、これらのことからみると原告の自訴に対する治療については何等医療効果を期待することは困難であつて、昭和五二年一〇月一八日の時点についても医学常識からみて症状固定の状態であると考えられ、原告の自訴は特別な環境条件の変化等がない限り軽減又は消滅しない性格のものであるから、治療を継続しているが従来の経過からみると臨床症状は殆ど変化しないものと推定される旨診断していることが認められる。
4 成立に争いがない乙四号証中の京大病院脳神経外科半田譲二医師作成の昭和五六年四月九日付意見書提出依頼に対する回答と題する書面及び証人半田譲二の証言によれば、原告の昭和五二年当時の症状は、頭痛、上肢知覚異常、めまい感、集中力欠如等の主として自覚的なもので、これらに対して投薬及び理学療法等の保存的な療法は症状改善に有効であつたが、根治的効果は期待し難かつたと診断されていることが認められる。
5 成立に争いがない甲一〇号証(診療録)、乙一七号証(京大病院脳神経外科山下純宏医師作成の昭和五七年一二月二七日付意見書)、五〇号証、証人山下純宏の証言により真正に成立したと認める乙二二号証及び同証言によれば、昭和五二年一一月一八日当時以降の診療録に基づくと原告の身体状態は昭和五二年一一月一八日当時と昭和五七年九月二四日時点とで基本的には変わつていないこと、右山下医師は昭和五二年一一月一八日以前から治癒していると診断していることが認められる。
6 証人山下純宏の証言により真正に成立したと認める甲三号証中の京大病院脳神経外科助教授山下純宏医師作成の診断書及び同証言によれば、原告が昭和五二年一一月一九日以降も京大病院での治療を受けたこと、原告が昭和五七年九月二四日に右山下医師から症状固定の診断を受けたことが認められる。
7 しかし、前掲甲三号証中の診断書によれば、昭和五七年九月二四日時点においても、原告は両上下肢痛(特に右側)、しびれ感、右肩関節痛、頸性頭痛、腰痛、左耳鳴、悪心、嘔吐、弱視、めまいを訴え、神経学的検査では両上肢頸部に知覚異常、両上肢粗大筋力の低下(右側で著明)及び頸椎運動制限があると診断される状況であつたと認められる。
8 更に、原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和四八年頃から都タクシー株式会社の従業員らによつて構成される都タクシー労働組合の執行委員長に就任し、昭和五二年三月までの賃金交渉その他種々の団体交渉に参加していること、また、昭和四二年から現在まで、京都むちうち症対策協議会の会長、事務局長等になり、むちうち症患者の相談等の活動を行つていることが認められる。
9 以上を総合すると、原告の右に認定した本件不支給処分前後の症状と昭和五七年九月二四日時点の症状との間には、その間の療養にもかかわらず顕著な改善が認められず、原告が請求原因4で昭和五二年の症状として主張するところも、右7で認定した昭和五七年の主訴と大きい変化はないから、本件疾病が本件不支給処分後も次第に改善されたとの原告主張はこれを認め難く、原告本人尋問の結果中の右主張に沿う部分は措信し難く、他に本件不支給処分後の症状改善を認めるに足る証拠はない。そうすると、原告は本件疾病は昭和五七年九月二四日に治癒したと反論するのであるから、昭和五七年九月二四日時点においてはもちろんのこと、昭和五二年一一月一八日時点においても、後遺障害があるものの、より以上の根治的な医療効果は期待し難く、本件疾病は症状が固定したものと認定することができる。
三原告の反論について、
1 治癒の判断にあたつては、療養により諸症状が軽減中であるか否かを重要な要件とすることはもちろんであり、自覚症状もここでいう症状の一つであることも否めない。しかし、対症的な療養は、それが医学的見地からは合理的で且つ有効ではあるが、それ自体一時的な効果が期待されるに過ぎないものであつて、諸症状を永続的に軽減するものではないから、対症的療養が医学上必要なことは、労災保険法上の療養補償給付、休業補償給付が必要であることに直接結びつくものではない。
2 被告が本件不支給処分にあたつて原告に対し第三者機関での診断を指示しなかつたからといつて、本件不支給処分ないしその手続が不当であるとは言えない。被告が資料とした医師の診断が症状固定の時期につき区々であるにしても、いずれも医学的専門的判断であるから、もとより、科学的根拠に欠けるとは言えず、これらを総合して治癒とその時期を決することに科学的根拠がないとは言えない。
3 原告は、半田医師作成の昭和四九年七月二二日提出の意見書(乙八号証)につき、原告が職場復帰の訓練に入りたいと願い、職場復帰には就労が可能の診断を要するため、半田医師に相談して書いて貰つたものであると主張するが、証人半田譲二の証言に徴しても、右各書類が医師の専門的判断に基づかないものとは到底認め難く、同主張を認めるに足る証拠はない。
4 原告は当初の治療が不適切であつたと主張する。しかしながら、昭和五二年一一月一八日時点で原告には後遺障害があるものの、より根治的な医療効果は期待し難いことは前認定のとおりであるから、その後遺障害が仮に不適切な治療に起因するとしても、そのことは症状固定の判断を動かすものではない。
四以上判断のとおり、本件不支給処分は正当であつて、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官井関正裕 裁判官田中恭介 裁判官榎戸道也)